「茶侘」
中国茶の歴史

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はじめに

ここからは、中国茶の歴史の説明です。
ちょっと難しい話が続きます。
だけど少し知っていると、お茶の買い物も楽しくなります。
がんばって読んでみてください。



伝説

有史以前の中国は「三皇五帝」が支配していたとされ、三皇の1人「神農」が茶を飲んだのが始まりとされていますので伝説上は4000年の歴史があることになります。
神農は人々に農耕を教えたためこの名で呼ばれています。
牛の頭を持っていたとされ、腹部も透けていて植物を何でも自分で食べてみて毒があるか調べていたと言われていて、そのため本草学の始祖とされています。
これは伝説上の話で実際にはどうであったかは謎に包まれています。



黎明期

明確な記録では、人が歴史上最初に「 茶 」に巡り逢ったのは、2000年以上前の四川省であるといわれています。
特に蒙頂山から産出する緑茶は唐代より清代に至るまで唯一皇帝献上品として扱われてきた由緒あるものでした。
皇帝による祭事の際には、「皇茶園」で摘まれた360枚の茶葉が2つの銀の壺に収められ都に運ばれたとされています。
古代より多くの詩によって絶賛され、唐代の詩人、白居易は「琴の音なら萢水の曲、茶はやっぱり蒙山」としてそのすばらしさを讃えました。
この茶文化が中国各地に伝えられ、今日に至るまで台湾やインドに至るまで多くの地域で優れたお茶が生産されるようになりました。



烏龍茶の発祥

現在でも烏龍茶の産地として名高い安渓に伝わっている伝承では、「烏龍」というのはこの地方に住んでいた蘇龍という狩人のあだ名で、顔の黒い龍という意味だとされています。
ある日、烏龍は茶摘みに出かけ、昼頃に狩りで獲物を見つけたので追いかけ夕方にようやく仕留めることができたので家に持ち帰って料理しました。
翌朝、忘れていたお茶を出してみるとそれは、赤くなっていい香りがしたとされています。
この茶は特別おいしかったので、その後も作られ飲まれるようになったといわれています。これが烏龍茶のはじまりです。



チベットへ

チベットは、高い海抜と劣悪な気候環境により野菜と果物の栽培に適応せず、人々は唯一生育する青顆という植物、ヤクとレイヨウにたよって生きてきました。
ヤクやレイヨウからは肉だけでなくミルクや乳製品も得ることができ、青顆の粉には水を加えてもちを作ることができました。
確かにこれらの高カロリーの食べ物は寒さに対処するのに有効ではありましたが、消化を助ける訳ではなかったので人々は早くから樹皮を使ったり草の根を煎じてビタミンを補充して身体の栄養バランスを保っていました。
そのため、文成公主がお茶を持って始めてチベット入りした時たいへんな驚きをもって迎えられました。
味がいいだけでなく身体の調節作用は樹皮や草の根に比べものにならない程優れていたからでした。
プーアール茶や若干風味が違う四川の緊圧茶がありますが、効能は似ており、高血圧、高血脂、ダイエットに効果がある健康食品で現在でも広く愛飲されています。



茶馬古道

お茶は、チベット人の食生活を変化させただけでなく、政治や経済すべてに大きな変化をもたらしましました。(ある意義からすると茶はチベットの歴史を変えたことになった)

第一に;お茶がチベット族の日常生活の必需品となった為、歴史上お茶によってもたらされた戦乱が幾度となく発生した。
第二に;歴代の中央政府は皆、茶の専売特許権をコントロールすることによりチベットの安定を図ったので、”茶による統治”と呼ばれている。
第三に;茶の交易によって、チベットと漢民族の経済文化交流が増加した。
第四に;茶とチベットの馬を交換する、茶馬両市が行われた。

当時茶の葉をチベットに運送するのは、背中に荷物を背負う人によって行われたので、今では"茶馬古道"として人々に知られる一本の細くて危険な山道ができあがりました。

”茶馬古道”の千年にも及ぶ歴史は、何万もの背負い人の血と涙の歴史ということもできます。100kgもの茶包みを背負って家族と涙の別れをし、無事に帰宅できることを願いました。自然災害、野獣、強盗など多くの危険があったからです。このような運送上の困難、さらに植樹の数に限りがあることもあって、チベット地方に入るお茶の数はとても少なかったようです。物は少ない程高価になりますので、チベット族の人々は、お茶を出した後、さらに茶の葉を干し粉にしてほかのものと一緒に食べました。また、飲む回数を増やすためにお茶の中に乳を入れ、今日まで伝わるバター茶が出来上がりました。



紅茶の伝播

中国茶の輸出は当初、ヨーロッパへ緑茶や烏龍茶を輸出していましたが、発酵度の低い茶をヨーロッパ人が好まなかったので紅茶が主なものとなりました。
19世紀以降はインド、セイロンでも作られるようになり英国の支配下のもとで急速に発展し、こちらの方が有名になりました。
ウバやダージリンなどがそうです。
これらの茶葉は細かく砕かれていますが、中国の紅茶は葉の形状を留めているという違いがあります。


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[9] (C)中国茶 茶侘